私の父が営む飲食店の競合は、飲食チェーン店ではなく愛妻弁当だという話。

以前軽く触れましたが、私の父は広島市の中心街から少し離れた場所で約7年間飲食店を営んでおります。

なんの偶然なのか、私が進学した高校からお店まで徒歩で約5分だったので、学校帰りによくふらっと立ち寄っていました。

 

その当時から、一つだけ気になっていたことがありました。

それはお店の真隣に、「なか卯」が営業していたことです。

 

価格も安く、味もそこそこ美味しいお店が真隣にあることは、高校生ながらに気が気ではありません。なぜ父が敢えてこの立地を選んだのか、それを知るのには幾分時間がかかりました。

 

平日昼間のランチタイムには、父が料理を作り、母が料理を運んでお客様を接客します。

家族の自慢をするのは少し滑稽ですが、父の作る料理は本当に美味しいし、元ホテルウーマンの母の、お客様に対する接客は目を見張るものがあります。

美味しい料理と最高の接客。創業3年以内の廃業率が70%という過酷な世界にも関わらず、どおりでお店が続くはずです。

 

でもこの言葉だけで、お店が続く理由を収束するには早すぎました。

 

高校を卒業し、大学生になった私は、春休みの機会を利用して社会人とほぼ同じ環境で数ヶ月間働くという経験をしました。そこで気が付いたのは、サラリーマンにとってランチタイムがいかに至福なひと時であるかということ。ただ単純に美味しい料理を食べれば良いのではなく、どれだけホッとできるような安らぎの時間を作れるかが大切でした。

 

ここで私が気付いたのは、私の父、そして母がお店を通じてお客様に提供している価値は、ただ美味しい料理を食し生理的欲求を満たすことにとどまらず、仕事に追われる乱雑な時間に差し込む、一瞬の心の安らぎを提供していたことにあるです。

 

こうして考えてみると、何故なか卯が真隣にあっても顧客の奪い合いにならないのか容易に説明できます。またターゲットとしている顧客が違うお店同士が連なることは、その圏内でのお店の認知度も上がりむしろ好都合なのです。

「ある程度リーズナブルな価格で美味しい料理を食べる」という切り口では、飲食チェーン店が競合に当たります。でも本当はそうではなくて(その切り口ももちろん間違ってはいません)、「一瞬の心の安らぎを感じる」という切り口ではもはや愛妻弁当が競合になり得るのです!

 

 

最近スタートアップ界隈を中心に、「世界を変えたい」「世の中にインパクトを与えたい」という言葉をよく聞きます。それ自体もちろん素晴らしい心意気なのですが、私にとってはどうも腑に落ちません。

人間が本当に求めている欲求とは何なのか。この視点を常に忘れることなく、インターネットやテクノロジーを通して、顧客と日々関わっていきたいと考えています。